人事制度の相談を受けるとき、よく耳にする言葉がある。「設計は悪くないはずなのに、うまく運用できていない」。設計の問題ではなく、運用の問題として捉えられている。しかし本当にそうだろうか。

精緻に設計された評価制度が、運用の段階で形骸化していく。そのパターンは多くの組織で繰り返されている。なぜか。設計の精緻さが、問いの不在を隠してしまうからだ。

「公正な評価」という幻想

多くの評価制度は、「公正な評価」を目標に設計される。誰が評価しても同じ結果になるような、客観的な基準を作ろうとする。その努力は理解できる。しかし、それは達成可能な目標だろうか。

人の仕事には、数値で測れないものがある。困難な場面で踏ん張った経験、チームの空気を変えた一言、顧客との信頼関係を築いた時間。そういったものを排除して設計された評価制度は、何を評価しているのだろうか。

「公正な評価」を求めることは正しい動機から来ている。しかしそれが制度への過剰な依存になるとき、大切なものが失われる。評価とは、制度ではなく、人と人の間に起きる対話であるという認識だ。

設計の前にある問い

評価制度を設計する前に、立ち止まって考えてほしい問いがある。「何のために、評価するのか」「何を評価することで、どんな組織になりたいのか」。この問いに、自分たちの言葉で答えられるか。

評価の目的は、組織によって異なる。成長の促進なのか。報酬配分の根拠なのか。人材配置の判断材料なのか。それとも、一人ひとりのキャリアを共に考えることなのか。目的が曖昧なまま設計された制度は、運用の段階で必ず迷走する。

制度を運用する人の問題

評価制度がうまく機能しない本質的な理由の一つは、運用する人——主にマネジャー——の対話能力にある。制度がどれほど整備されていても、それを使う人が「評価の対話」を行う力を持っていなければ、制度は機能しない。

評価の対話とは何か。それは、部下の仕事ぶりを観察し、その人固有の成長の文脈を理解し、正直な言葉で伝えることだ。これは技術であり、経験によって磨かれるものだ。しかし多くの組織では、その能力開発に十分な投資をしていない。

仕組みへの投資と、人への投資のバランス。評価制度の問題の多くは、後者の不足に起因している。制度を設計することより、制度を使う人が対話できる組織をつくること。その順番を問い直してみてほしい。

評価の本質は、人を測ることではなく、人の成長を共に考えることだ。その認識が組織に根付いたとき、制度は初めて生きて動き始める。